こんにちは、賃貸営業中村です。 だいぶ間が開いてしまいましたが、旅の続きです。 ちなみに第一回目は2019年3月2日、第二回目は2019年3月10日、第三回目は2019年3月23日にそれぞれ更新しています(ずいぶん前ですねえ)。よろしかったらお読みください。 さて、盛岡の小料理屋での素晴らしい一人呑みから明けて翌日。城址ファンとしては見逃せないのが盛岡城と、約6年前に復興ボランティアで訪れた陸前高田を再訪する予定を立てていました。 まずは石割桜。 大きな花崗岩をまさに割るようにしてそびえる姿はしみじみと感動を呼びます。 そして盛岡城。前日訪れた九戸城の主、九戸政実の本家筋で、政敵でもあった南部信直が築いたお城です。天守は明治の廃城令で取り壊されてしまっていますが、壮麗な石垣は遺されており、往時の姿を偲ばせます。 もっとゆっくり見て回りたかったのですが、城跡公園内には街中よりも多くの雪が残って歩きづらく、二の丸方面は断念せざるを得ませんでした。 さあ、駆け足過ぎる盛岡観光の次は陸前高田です。 6年前に訪れた時は、アスファルトの道路だけが残り、そこに存在していたであろう建物が綺麗さっぱり無くなっていました。その異様な光景に呆然としたものですが、復興が進んだであろう今、どうなっているのか確認したいと思ったのです。 結論から言いますと、かなり打ちのめされました。 確かに巨大ベルトコンベアを使って運び込んだ土砂でかさ上げされた新しい市街地には、真新しい店舗が立ち並んで、一見生まれ変わって見えました。でもそれは、あくまでも表面的なことなのです。 その新市街地で営業を再開していた「鶴亀鮨」のご主人にお話を伺いましたが、震災後にこの地を去ったまま戻ってこられない多くの人々のこと、今後の街づくりの見通しがまるで立っていないことなど、課題山積みな暗い現実のお話しか聞くことはできませんでした。 「あの時手伝ってやった街の人々よ、ちゃんと復興しておるかね?」 そんな上から目線な気持ちが全く無かったと言えば嘘になります。 物見遊山で訪れるべきではなかった。カーナビの案内がまるで役に立たない街をウロウロと彷徨いながら、すっかり暗い気持ちになってしまいました。 その気持ちを抱えたまま、僕は一ノ関へ向かいました。 レンタカーを返却して、一ノ関から東北新幹線で上野に戻るプランだったのです。 返却時間まで間があったので、中尊寺へ立ち寄ります。 しかし、じっくりと見て回るには心と体が疲れすぎていました。 一ノ関の市街地のセブンイレブンの看板がモノクロに見えてしまったほど疲れていました(注)。 (注)モノクロに見えたのは僕が疲れていたせいではなく、世界遺産に指定された街の景観を保つため、という理由で様々な看板からあえて色彩を抜いているのだそうです。知らないもんだから、視神経とか脳が壊れちゃったのかと半ば本気で心配してしまいました。 こうして僕のみちのくひとり旅は終わりました。最後は気分落ち気味で終わってしまいましたが、総じて充実した旅でした。再訪する時は、ぜひ雪の心配のない季節に。今度こそゆっくりと九戸城址や盛岡城跡を散策し、あの小料理屋で美人女将の料理を堪能したいと思います。 帰りの東北新幹線、岩手の地ビール「金蔵」を飲みながら、早くも次回の訪問に想いを馳せるのでした。 |