日本の伝統


 先週の土曜日、5/18に浅草の三社祭に行ってきました。

 今年の三社祭は5/16〜5/19の4日間で、18日に町内神輿連合渡御、

 19日に本社神輿各町渡御が行われました。
 

 まずは雷門を潜り、仲見世商店街を通り浅草寺方面へ。
   

 人の多さと熱気がすごかった神輿渡御(押されながらパチリ)。
         

         
 
 すでにお酒も入っており、時刻もちょうどお昼時。
 浅草寺の真横に陣取り・・・
  

  
 
 
 テキ屋ネタをツマミに呑んで食べの繰り返し(サービスもあってラッキーでした)。

 そして、お腹もいっぱいになってしまい、

 やってしまいました・・・。

 今年はうなぎを食べられませんでした。


 ここで、初歩的な疑問。

 【 三社って何??? 】

 時はさかのぼり、推古天皇の36年3月18日(西暦628年4月15日)。
 春うららかなある朝のこと、漁師の桧前浜成(ひのくまはまなり)竹成(たけなり)の兄弟が、
今日も隅田川で漁に精を出していました。
 しかし、その日に限ってどうしたことでしょうか。
 たった一匹の魚も釣れません。
 網にかかるのは、ただ人の形をした像だけ。
 兄弟は、何度もその像を水中に投げ捨てては、別の場所に変えて網を打ちつづけました。
 でも、網にかかるのは、なぜか同じ像なのです。
 ついには兄弟も不思議に思い、その像を拾いあげて、今の駒形から陸にあがり、
エンジュの木の切り株に置きました。
 そして、当時、郷土の文化人であった土師真中知(はじのなかとも)にこの日の出来事を語り、
像を見てもらったのです。
 すると、像を見た土師氏は大変驚きました。
 「これは、尊い聖観世音菩薩像で、自分も帰依する所の深い仏像である」と兄弟に告げ、
その功徳について、くわしく説明しました。
 兄弟は、拾った観音が現世利益仏(信仰することによって、現世で得られる利福)であることを
 初めて知り、信心が揺り起こされました。
 そこで2人は、深く観音を念じて名号を唱え、
「私たちは漁師です。魚がとれなくては、その日の生活にも困ります。
なので、どうぞ明日は大漁であるようにお願い申しあげます。」と祈りました。
 そして、翌日19日の朝。
 兄弟は、また網を隅田川に打ちました。
 すると、観音像に願ったように、大漁を得ることができたのです。
 それから間もなくして、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅に堂舎を構えて寺とし、
あの観音像を安置し奉りました。
 そして供養護持のかたわら、郷民の教化に生涯を捧げたのです。
 土師真中知の亡くなった後、不思議な出来事がありました。
 跡継ぎの子が、観世音の夢のお告げを受けたのです。
 そのお告げに従って、桧前兄弟と土師真中知の3人を神として祀り、三社権現と称しました。
 今、「三社さま」として親しまれている浅草神社は、この三社権現社が始まりとされています。
                                参考文献:浅草神社と三社祭(浅草神社 発行)

 つまり「三社祭」の「三社」とは、桧前兄弟と土師真中知の3人のことでした。

 また、町内に飾られた提灯にも描かれている網が3つ組み合わさった神紋(三網紋)もこの3人を

 象徴しているのだそうです。

 尚、三網の神紋は、土師氏並びに桧前氏の家紋であり、

 三網紋の中央は中知、右は浜成、左が竹成を表しているようです。

 
 ※微妙に高さに違いがあるみたいですが・・・。

 今回は、浅草神社3基の神輿(一之宮には土師真中知命、二之宮には桧前浜成命、

 三之宮には桧前竹成命)が、境内から発信する『宮出し』から始まり、本社神輿各町渡御、

 神社へ戻る『宮入り』を見ていないので、来年はこの日に予定を組み行こうと思います。

 それとまた今年もスーパーボールすくいは、自力で取れなかったので、

 来年こそは、テキ屋のおネエさん(昨年は、おニイさん)のお情けを受けない様に頑張ります。
行ってきました。 爆針ジュークボックス 2013年05月25日
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