こんにちは。ハカラー中村です。 本日は、偉大な大先輩のお話を。 今年は、我々ハカラー(注)にとって記念すべき年でして。 すべてのハカラーの師、いわば「マスター・オブ・ハカラー(略して「マカラー」)」であらせられる、 伊能忠敬師が亡くなったのが1818年5月17日。 つまり今年は、ちょうど没後200年にあたるわけです。 未だマカラーの墓参はおろか記念館も訪れていないハカラー失格な私としては、このタイミングを逃すわけにはいきません。レンタカーを借りて、行って参りました。 記念館「参詣」前に、香取佐原インターを下りてすぐのところに位置する下総国一宮、香取神宮へ参詣。 香取神宮は松や杉を中心にした森に囲まれています。空気が静謐で、周囲はフィトンチッドとマイナスイオンで充ち満ちていました。 ちなみにこの拝殿、唐破風の彩色が独特な美しさを醸していました。 おしゃれ上級者だと思います。 参道のお店にも興味を惹かれました(特にお団子)が、ぐっと堪えていよいよハカラーの聖地「伊能忠敬記念館」へ。 展示室に入って一発目。ランドサット衛星から空撮された日本の写真と、マカラーが作成した日本地図がオーバーラップしながら交互に表示される展示では、マカラーの地図のあまりの精密具合に度肝を抜かれます。す、すげえよ師匠!凄すぎるよ! その後も地元小学校の校外授業の集団に紛れつつ、マカラーの偉業の数々を丹念に見ていきました。 地元長崎の地図に、ふるさとの地名が記されているのを見て、ごくごく当たり前のことなのに感動したりしました。 「マカラーが!私のふるさとも!!測ってくれていた!!!」 記念館から小野川を挟んで向かいには「伊能忠敬旧宅」。造り酒屋を営んでいた伊能家の住宅兼店舗跡です。 中庭に建てられた彫像とツーショット。 こうしてマカラーの偉業に改めて心を震わせたあと、いよいよ、墓所がある観福寺へ。 その業績の偉大さを全く感じさせないほどの簡素なお墓でした。こういうところにも、マカラーの控えめな人柄が偲ばれます。静かに手を合わせ、ご冥福をお祈りしてきました。 さて、マカラー聖地巡礼はまだまだ続きますよ。 次は生誕の地、九十九里町に行ってこようと思います。 マカラーの素晴らしさは、Wikipediaを読むだけでもかなり伝わります。 みなさんも是非! 注 「ハカラー」とは、何かを「測る」「量る」「計る」ことに命をかける、荒くれ者たちの総称です。 |